dear nobody
【2026 玄鳥至】
つばめきたる





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アシタハココカラ





2026.4.6

【nobodyが物語の中にいて驚いた話】
"Nobody" was there in my young fiction


BGD:「プライド」(2004, フジテレビ「月9」)

しばらく前にオンデマンドで購入してあった、大好きだったドラマを、久々に流しで観ている。
2004年1月。社会復帰のためのバイトを始めて日々を過ごすなかで、もうnobodyのことは見つけられないと思って、2000年の恋愛救世主妄想スレスレのとき以上に全力であきらめ、同居人と住んでいた家からも、近所に昼逃げで引っ越した翌年に当たる。
引っ越しは、人と暮らすことが本格的に苦痛になってきて、せっかくギリギリの精神状態でも、期待をもらって続けられていたバイトがダメになりそうだったからで、引っ越した部屋が元々2年で取り壊しが決まっていた物件だったこともあって、その後の自分を維持できなかったことから、本格的に病気が再発してしまうのだが、このときまではバイトを続けることができた。当時は、仕事量が増えるのを断れずに潰れてしまった自分を責めて責めて(雇い主側では、初期の労働時間が、私の許容範囲に合った週2×4時間ととても短かったので、仕事に慣れたのなら時間を増やして手取りのお金が増えた方がいいのではないかという判断だったのだと思う)、もう二度と金銭授受の責任のある仕事はしないと心に決めてしまったのだけれども、今考えれば、限界まで頑張ってきていた自分に、さらに鞭打つようなことを感じてしまっていたんだなと思う。
これがシャーマン的な資質を構築するための修行に沿ったもので、自分を否定することで自我を減らすステップを踏んでいたのだということも、当時は全く気づくことができなかった。
そして、これも当時は全然知らなかったけれども、この作品がnobodyが上海で最初に生まれ変わってからの、これも大好きな『ロンバケ』以来の恋愛方面の、ゴーストとしての代表的なお仕事の一つで、私はそれを引っ越し先のテレビ(ほぼプレステのMMORPG用に使ってた)で、リセットを完了した自分としてニコニコシクシク観てたっていうんだから、割と泣ける(今となってはいい意味で)。

ところで。本日、すごいことが分かってだね。
状況の背景となる、太陽系と失われた惑星に関しての説明が、ほぼ理解はしているものの、ほとんどまだできていない状態なのだが、そのとき私はnobodyと、私は下半身がほぼ不随、nobodyは膝から下が動かなくなった状態で、そばで生きていた。nobody(の、今で言う遺伝子)が、その星に生きる人々にとって、状況的に必須な状態で、自らの意思で、クローンの実験材料になったことがあって。実験材料になったあとのnobodyの身体は、全然起きなくて、他のクローンたちは元気に、足も元通り元気に、いろんな人と仲良くしていて、私のことを覚えているnobodyは誰もいなくて。悲しいことに、クローンたちは予定よりもずっと早く全滅してしまい、材料になったnobodyの身体はそれでも起きなくて、そうこうするうちに、その星ごと何もかも、吹っ飛んでしまう。今の、木星と火星の間にある小惑星帯が、粉々になった星の成分だということだけ、筋道を立てて説明できるまで、ここで書いておこう。
私が、クローンであるソメイヨシノの開花時期に、毎年凄まじい鬱になってきたことも、ようやくここに繋がった。
この、nobodyクローン説というのは、実は数年前から来ていて、つまり、nobodyがいっぱいいて、そのどれも私にとってのnobodyじゃないかもしれない、彼は死んでしまっているかもしれない、あきらめなくてはならない、ちゃんと失恋しなくてはいけないようなプレッシャーと、本当にそうなってしまう恐怖と不安に、理由も分からず、たびたび襲われた。
そして、上記の太陽系の失われた星のことが、ある人とその件について話すことで現実味を帯びたその日に、その星で起こった、nobodyのクローン説を裏付けるような記憶が出てきたのだった。

今日はその翌日だが、さらに、私が2000年から書いていた物語の中に、このクローンとしてのnobodyが、地下に降りていったミムラ(私の分身)の、真っ暗で不安だった手のひらに生まれた小さな火として、出現してくれていたことが分かった。この部分が、当時から今に至るまで、自分にもどうしてこんなふうに書くのかが分からず、ずっと、もはや悩むほどに不思議だった。
その火は、物語の中で、一斉に分裂して、小さな炎がきちんと整列した状態で点在する、まるで絨毯のように広がり、それが集合してでっかい火の鳥、鳳凰になり、私を土の中に残して、ミムラと一緒にさらに下っていってしまう。私はというと、ざっくり言って笑、そこで死んでいる。
この部分の言葉たちの意味が分かっただけでも、正直、とてつもなく安心した。あの火が、過去生のnobodyだったこと、現実では5次元の、脳内で話してくれるだけの存在だったのに、本当に怖かった私のところに変身した姿で助けに来てくれていたんだということに、とても安心した。あれがなかったら、現実の私は闇の中で死んでいたと思う。

今世のnobodyが、特に2022年以降にその存在に気がつきはじめたときには、自分の存在が分裂しがちなのではないかということも、薄々感じていたけれども、それも私のせいだと思っていた。私がnobodyを一人の人間として認識できないせいだと思っていた。
でも、私が苦しんでいた一方で、nobodyも、分裂しがちな自分について理解できないまま苦しんでいたんじゃないかと、今回ようやく思い至った。もしクローン説が本当なら、自分がクローンとして多数の存在に分裂した記憶だって、この状況に、深刻な心理状態で影響しているかもしれないのだ。私も、この展開が可能性として認識/理解できたとして、物語における安心は得られても、現実の方はまだ安心できない。それは、nobodyがクローンになった当時もそうで、そのまま彼も私も吹っ飛んじゃったからだ。
だからこの不安定さも、nobodyと一緒にいることで、一緒に持っていたらいいんだ、納得できるまでそうしたらいいんだと思えた。
その後、過去生で何度も会いながら、どこか、この人はあのときの別のクローンの人で、私にとってのnobodyじゃないんじゃないか、他の誰かにとってのnobodyなんじゃないかって、ずっと不安だった気がする。だって、私にとってのnobodyは、二度と目覚めない人、だったから。だから今世でも、彼が死んでるんじゃないかなんて、いつもいつもその可能性を手放せなかったんだろう。
その不安はね、和らげていったらいいと思う。nobodyはまた生まれ変わっているかもしれないけど、それはクローンという意味じゃなくて、ちゃんと連続した彼で生きているから。彼のそばで、もう、すっかり、安心したらいいと思う。




2026.4.5

【nobody遭遇年表】vol.2
tie me to nobody with seaweed ropes


BGM:「少し痛めば、消えると思っていた。」mornory

nobodyとの今世での接触年表、追加が出てきているのでvol.2として。女性関係はお相手のあることだしお相手のせいだけでその事象が成立しているとは限らないのであんまり書いてないけどもね、記憶喪失の間に結婚してたとか笑。記憶から醒めるときに自分が好きだと思っていた人をその人にちかしい死んだ人だと間違えちゃったとか笑(証拠維持の目的も合わせて彼女の位牌を作成して長らく所持)。記憶をたどるときってコレあるんだよねぇ、私も過去生をたどるときに結構取り違えた。そもそもnobodyがクローンつまり似てる人がいっぱいなトラウマ案件がそこに混じってて、余計にみんなことごとくnobodyに似てる(今考えると全然似ていないのに!)と思ってしまう五里霧中状態に。集団による威圧とか脅迫って、それがどんな雰囲気でも、結局、警察型自白丸め込み系に似てるよね。彼らの正解にもっていくタイプの文言の典型として、警察のやつってきっと実践的だし、さぞかし本人無視して現実にする効果があるんだろうねぇ笑。日本の集団行動の典型に取り入れられていないことを祈る笑。

9歳、表参道と青山通りの交差点にあった富士銀行(銀行名当時)の2階にあった矯正専門の歯科医にて。『しろいうさぎとくろいうさぎ』「その絵本好きなの?」「ううん、初めて読むの」(パパとママのことでがっかりしてたし義理の父は正直嫌いだけど、結婚って思ってるよりいいかも)(絵本に夢中で、自分が治療室に立つのも気にしない女の子がいることを知って、こういう人と結婚したいと思ったらしい。周囲でnobodyを気にかける人がよほど多かったのか)
9歳、新御茶ノ水駅が最寄りの四谷大塚にて。①私が座っている机の前に来て、何も言わずに帰っていった(歯医者さんでのことを私が覚えているかと思ったらしい。そうだったら聴いてほしいことがあったらしい)②珍しく隣りに座ってきて(四谷大塚を退会する日だったらしい)「消しゴム貸して」。私は横長い机で、割と離れて座っている二人の真ん中に、消しゴムを置いた。何度も貸してって言われるのもお互いに、なんだから。「ここに置くね」。相手と、自分の、真ん中。当時は私も、義理の父が来たばかりで、生涯一、機嫌が悪かった。
14歳、東京武道館の剣道の試合会場の廊下にて。黒歴史の名言「私は今、廊下でマリアさまに会った。だから大丈夫だ」(自分が戦えずして敗戦した試合後に大将として一言求められ、すぐに答えられずにトイレに行って、私と廊下ですれ違い、それでもあまりにも悩んだ結果、冗談を真面目に言おうとして)(私の方は、お相撲の桟敷席ほど近い、試合場と同じ高さのところに座らされて、集中や気配や気合が重要な剣道の試合で、同級生を応援するという人生初無茶な状況に著しく困って、トイレに行って帰ってきたところで、私はすれ違ったnobodyの姿に剣道の何某かを発見し、その姿勢で正座して微動だにせずにその後を乗り切った。その日に限って、いわゆる紀子さんがご婚約の頃にしてたヘアスタイルだった)
19歳、早稲田大学の学祭、児童文学研究会の展示教室にて。教室の入口でちらちら見えたnobodyに気づいて入口のそばに出て、「ご覧になりますか?」と右手でそれとなく入場を促す。(←どうもこれが印象に残っていたらしい。nobodyはパルコパブリッシングのグリーティング絵本『げんきですか?』出版後で、私が学祭のために作成した絵本を見に来てくれたとのこと。私はそのグリーティング絵本シリーズの中でも特にその作品を気に入っていて、親友=冒頭位牌の彼女にもプレゼントしたくらいだったんだけど、nobodyの手によるものとは知らなかったし、私が気に入っていたこともnobodyはご存知なく。
30歳、①私は父がなくなったあと覚醒しかけていて、①背広の背中で前を歩いてた、これが私にとっての最も明確なnobodyのイメージ。②当時の脳内でのビジョン付きの再会は、いっさい個人認定できていなかったことから初対面の感覚で、やや斜め向き正面での印象は『耳をすませば』の天沢聖司くん(個人的に大好き)。当時連絡をとってきた(痴呆のおばあちゃんの身体の中から話しかけてくる沖縄の人とか、お花の香りだとか、とにかく普通じゃない連絡方法を含む)他の人?は、自分の姿を見せていなかったのと、メールで頻繁にやりとりをしたたろ。さん(お互いの世界認識を言葉で爆走した)や、電柱の脇から拝んでいるおばあさん(見えるようにやるのは禁止されていたらしいので、完全に想定外すぎて自分が妄想の世界を見ているんじゃないかと一層追い詰められた案件。咎められてすでになくなられており、ご友人には富山のスーパーのレジ係の方として遭遇)、前から歩いてくる笑顔(自宅付近の道とか渋谷のスクランブル交差点とか)の方々ほか、割と迫ってくる系の人たちが多いなか、もはやそうした圧迫感から完璧な冷静さを装うほかないほど追い詰められていた私の脳内の回転数を、とりあえずやわらげて落ち着かせようとしてくれていた口調やテンションだったことから、印象に残った。でもこの人がなぜ、私が当時必死に書いていた物語の登場人物であるnobodyと混ざるかのように「nobody」になったのかは、正直今でも説明できない。③神宮外苑の植え込みに「nobodyが来てくれなかったら帰らない!!」と脳内で叫んで座り込みをしていたら、nobodyが警察の巡回役として二人一組のカップル仕様で横を通り過ぎていって(二人組じゃないとダメだったらしい)、nobodyだと当時分かっていたわけではなかったのだけれども、こうやってカップルで歩ける人もいるのに、自分はnobodyが誰だかもほとんど分からない状態で待っていたってしょうがないとバカバカしくなって、諦めて家に帰った。④後にこの年、東大生として父の授業を受けていた生徒さんが、授業に来ない父を案じて、アパートの部屋の周囲を見回って大家さんにも確認を促したことを、大家さんからうちの母親経由で聞いていたが、その生徒さんは役柄としてのnobodyで、警察経由で送られてきた手紙もその役柄でnobodyが書いたものだったと知る。私はその返事に、「父と家族としての時間をほとんど過ごしてこなかった身として、本来ならこのようなことを言うのは僭越かもしれませんが、あなたはまだ若くて将来の時間もたくさんある方です。父の唯一の娘として責任を持ちますので、父のことは忘れてくださって構いません」と書いた(らしい。一生懸命だったんで詳細は失念したが、この「責任」の部分だけはよく覚えている)。⑤実家を出て生活能力を試しはじめた2023年あたりから、父のことも同時に開示が始まったのか、父の死は、親族友人を含めて数名の殺害承諾のトリガーを経て、現地で父に当たったのがnobodyだったこと、これが致死に至るものでは実はなかったこと、私のことを父から任されたことなども、亡き父を含め、たまに脳内でその件にまつわるいろいろな方々の告白を聞くうちに、当時父の周辺にあった環境や事情とともに、少しずつ判明してきた。このときの左手のトラウマは脳内で話しながら一緒に治療中、後に別件でもっとしんどいトラウマがすでに左手に宿っていて、nobodyが抹殺したかったのはこっちの経験とトラウマだったことを知る。こちらものんびり治療中。
34歳?、表参道の街路イベントであるスーパーよさこいに、たまたま散歩中に初めて出くわし、nobody(とは分からないままで)がアイヌの団体として出場していて、先頭に立っているのをみた(私は他の団体と同じく、勝手に沖縄の人たちだと思っていたが、白めの装束に少し太めのハチマキ、踊りだしたらとても静かな踊りで、音楽も無音だったという記憶)。少し小さいけれど、気高い獣みたいにまっすぐ立ってた。私が小学生時代に表参道を鼓笛隊でパレードしたのを知っていて。
50歳~、脳内に声だけで現れる→レムに(その後、レム役が別の人にスイッチ)
52歳、鎌倉腰越の滞在先でお願いしたWi-Fiを直しに来てくれて、私が家から出たときに、カブに乗った白髪でスタジャンの後ろ姿だけが見えて、私が歩き出したら、横をカブで通り過ぎていった。
53歳、①富山で私の幼馴染との間柄について脳内で話している最中に、道路の反対側の前の方を、2000年のときの背広の背中が歩いていて、私は一体どれくらいぶりだかいきなり「nobodyだ!」と叫ぶ。②私がnobodyのことを思い出したからなのか、西浜の海岸で、私が歩く正面に、サーフボードを持って立っていた。③とうとう本当に離れることになった腰越の漁港でお気に入りの場所に行こうとしたら、すごい怒った様子でワカメを洗ってる本来の黒髪nobodyに遭遇。nobodyは私には気づかなかった。後で、メッセージで確認して、本当にこのあたりの誰かだということが判明した。そのワカメかもと思って、腰越漁港でそのように洗われたあとに漁港脇で干された塩蔵ワカメを購入、美味しくいただく。④富山の滞在先で、9歳の四谷大塚の「消しゴム貸して」の件を思い出して、そこから脳内で少しずつ生い立ちに関わることを聞いて、結婚したいと思うようになる。⑤富山の自室にて周囲からの合図に敏感になり精神的に追い込まれたので、「ちゃんと生活している人」を「飼育員さん」にしてほしいと言ったら、彼が担当者になった。⑤富山の滞在先で見かけた人(①②③④⑤の人とは分かっていない、各々別の人くらいの勢い)が、近所のバローでいきなり働き出しているのを見て、国の行政か政治側の人だと勝手に思っていたけれども、こういうふうにすぐに経験を積みに動ける人は素敵だなーと思ってしまい、自分が浮気をしたかと思って絶望する。⑥30歳のときに亡き父の遺言をもとに私へのプロポーズを母親に頼んだらしいのだが、nobodyと父との関係性を知っていた母親は、表向きの理由「申し訳ない」ということで却下したことを彼から聞く。私にはこの件は一切知らされないまま現在に至る。
54歳、①東京・綾瀬駅近くのホテルの入口で、上記の⑤の人が従業員用の通路を入っていくのを見かける。②nobodyが、ゴーストとしてドラマ等のシナリオや、いろいろな種類の音楽を作ってきた人だと知る。2000年代に実家の近くにあったNADiffで直観で買ったアルバムが、nobodyが初参加したものだったことを知る。nobodyが中心に作った曲を、実は当時延々と聴いていた。他にも好きで聴いていた曲がたくさん、nobodyが参加した(音楽素材、元ネタとして使われた)ものだったことを知る。③7歳~9歳まで沖縄由来の家で息子の影武者として(7歳までのお家は両親が死亡、警察に一人で報告に行く)、9歳~11歳まで生誕地である北海道(生誕地は正確には利尻島)にて(女性からの弱者としての威圧=性的侵害が常套化しはじめる)、11歳以降14歳まで男兄弟のいる町田付近のお家で(長兄からの暴力/性暴力、義理のお母さんからの性的侵害により妊娠に至って追い出される→性被害と認められず一時期少年院に。父親が激怒した結果、精子バンクに、私への愛情を注いだらしい精子をとられる→ここから後に男子一人が誕生、私がそうとは知らず自分の子どもでもないのに異常に愛情を感じてしまってちょっと自分自身に引くくらい笑。ここらへんの時期から本格的にメンタルサポートの人たちからの対非行少年における精神分析と心理的矯正が始まる→「エヴァンゲリオン」のシンジ君の設定につながる)、15歳~17歳まで剣道の素養を認められ父娘だけの警察関係のお家で預かってもらう。「お嬢さん」から日々性的アピールによるプレッシャーを受ける。少年院案件として通過している領域でもあり、さすがに応じず。④西武の亡き堤会長に、17歳のときにnobodyと私をセット(許嫁扱い)にしていただいていたことを、2024年くらいに初めて知る。西武のリゾート関係のサポートでゴルフ場を回る日々、ゴルフ場(土地そのもの)はnobodyに土地再生力があったので「ゴールデンカムイ(=金を運ぶ人)がくるよ!」と言って大歓迎だったらしいが(多分、整備でだいぶ土地の力が落ちていたためではないかと思われる)、西武はこの業態により屋台骨が傾く。責任を感じて株等で補填のための資金繰りをするようになる。
55歳、①鎌倉滞在時に、主に敷地入口付近にいらっしゃる妙見さんを訪ねて通っていた龍口寺に、一時期nobodyが預けられていたと知る。このときの祖父に当たる人が、nobodyの将棋の才能を見込んで応援してくれていたらしい。ちなみに私が腰越を滞在先に選んだのは、どうやらこの龍口寺のお隣りにあって、数年前に奥に移転していた龍口明神社が遠因らしい。江の島での縄文時代付近の厳しい過去生との関係から。②私が大学時代に近所だからという理由でウェイトレスのバイトをしていた伊藤忠に、当時は大卒ではなかったnobodyが能力をかわれて一時期勤めていたことを知る(中国担当)。この件で失敗を背負わされて、上海へ亡命に近い国外脱出。一度素性を生まれ変わり、年齢を10歳下げ、名前等も変更。③2000年当時に覚醒しかけて表参道、青山、外苑あたりを延々と歩き回っていたときに入ったCD屋さんのカエルカフェが、当時預かっていた将棋関係の子どもと一緒に近所に(国立競技場周辺の開発で立て壊され、強制的な立ち退きが問題になった霞ヶ丘団地)住んでいたnobodyの経営だと知る。④nobodyがかつて歌舞伎町に住んでいたこと、nobodyを慕って同居するようになった男性がいたこと、nobodyがそこから出たあと、預かっていた子どもが同居するという繊細な関係性について知る。⑤自らが主人公のモデルの一人になった「エヴァンゲリオン」に責任を感じ、作品内の日本国防衛機関であるNERVを現実のSNSアカウントとして、自然災害等の情報発信管理ポータルとして運営するようになっていたと知る。→東京滅亡を含む「エヴァンゲリオン」の設定としての壊滅後の第三東京市~『天気の子』の東京水没計画について知る。⑤nobodyが将棋関係の人、将棋実況の動画を作っている人にサポートで入るうちにメインの制作者になっていたと知る。→将棋の応援界隈に私も入っていく、過去生で女性として将棋をやっていた悲劇な記憶(またかよ)を思い出す。⑥2024年の元旦から、nobodyの意識の中では私と一緒にいられるようになるために、私への暗黙裡の方法による、精神破壊に至らない経路を模索しながらの情報開示がスタート。この時期に二度目の生まれ変わり、目の辺りをある人物に似せて整形、年齢を元に戻す。ずっと出来高制に近い状態だったようだけれども、ごく最近、月給をもらう身に。血縁による後ろ盾がないなか、この雇用が精神安定にどれほど繋がったかと思うと、非常に感動的で喜ばしい。