【2026 雷乃発声】
かみなりすなわちこえをはっす
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アシタハココカラ
2026.4.4
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BGM:「Earth Beyond Silence 地球から降ってくる音 | Space Ambient with a Gentle Pulse」Chill Café Soundscape nobodyとの今世での接触年表がなかなか書き切れていないわけなのだが、何とかまたやってみよう笑。 接触した建物っていうかね、空間というかも、だんだん壊されてなくなってきているから。 建物が失われると、そこでの記憶も失われるらしいんだけれど。建物が、その空間で過ごした人の記憶を宿しているかららしい。心のホームレス38億年の私(どこぞの巨石にそう言われたのだ)が、とある家感覚が豊かな滞在先で床に倒れて泣いていたら、その家の壁に宿っていた?その家にかつてお住まいだった亡きご婦人が伝えてくれた話で、「家には、そこに住んだ幸福な家族の記憶が宿っているんですって。あなたにもしそれが伝わってそれで自分と比較して悲しくて泣いているなら、きっとあなたにもそういう家ができるということなんだと思うわ」って。それで余計に泣いてしまったのが懐かしい。 ちなみにnobodyに限って言うと、過去生でのことが割と鮮明にあって、当時の何も当然残っていないわけで、だからといって記憶にストッパーがかかっているかというと、メンタル的なブロック以外は遮られていない感じなので、あんまり関係ないのかもしれない。でも、他のこと、特に他人のことは(建物入れ替え大作戦みたいな都心の街で生まれ育った身にすると)覿面にそうだなぁと思う。何が建っていたかすら思い出せないことがよくあったから。 その家というのは、ご婦人から聞いた話だけれども、詐欺に騙されて大金をとられたのを、ご主人は「お金は天下の回りものって言うし、きっとこれでよかったんだよ」ってご婦人を責めなかったんだそう。ご主人はその家の近所でほどなくして事故でなくなって、精神的均衡がとれなくなったご婦人は宗教にハマり、その家までほとんど乗っ取られてなくなってしまったらしいけれども、それでも、そのご主人との幸福な記憶、パートナーを責めずにその言葉を伝えることのできる(本当の本当に本心かは分からないと思う、ご自分が稼いだものなんだし)ご夫婦の絆に、私は心から感激したのだった。 人生において本当に相手がつらいとき、何を言ってあげられるかで、その絆がお互いをどれだけ支えているかが分かるなぁと思う。ご主人は、ご婦人が主婦で家にいてやってくれていたことを、その価値を、ご自分への支えの力を(もしかしたらご主人に起こった何か大きなことを、ご婦人が責めなかったのかもしれない)、きっとよくご存知だったんだと思う。時代的に、女性を主婦にしているその関係性に対して、周囲はいろいろ言ったかも知れない。結局、いろいろな世間の声が耳をかすめたり内声したりして、持ちこたえきれなかったかもしれないけれど、それでもご夫婦の絆は何一つ傷つかない。むしろ、傷つくのは、世間の声に傷つく自分自身の方に、だったのかもしれない。私も過去生のnobodyとの間で、そうだから。 nobodyは不思議と、私や私の情報や能力を利用したりその延長で価値化することを第一に考える他の男性たちと違って、私を私が置かれた窮地(あるときは二人で置かれた窮地)を遠くから近くから和らげたり救い出そうとしたりする人で、そのことがうまくいかなくて二人の関係に響いたということは、かなりつらい記憶としてあるんだけれども、相手に利用されたり値踏みされた関係性が修正しきれなくて、女性の身体である自分を、誰とも(自分自身とすら)対等な人間として生きることに挫折した記憶よりも、ずっとずっと、幸福な記憶だったのだ。今世では、経済がかなりの重要度を占めている時代なので、nobodyからの対処に、他の時代よりも色濃く、その影響が及んでいることがあるかもしれないが。 9歳、表参道と青山通りの交差点にあった富士銀行(銀行名当時)の2階にあった矯正専門の歯科医にて。『しろいうさぎとくろいうさぎ』「その絵本好きなの?」「ううん、初めて読むの」 9歳、新御茶ノ水駅が最寄りの四谷大塚にて。①私が座っている机の前に来て、何も言わずに帰っていった(歯医者さんでのことを私が覚えているかと思ったらしい。そうだったら聴いてほしいことがあったらしい)②珍しく隣りに座ってきて(四谷大塚を退会する日だったらしい)「消しゴム貸して」。 14歳、東京武道館の剣道の試合会場の廊下にて。黒歴史の名言「私は今、廊下でマリアさまに会った。だから大丈夫だ」(自分が戦えずして敗戦した試合後に大将として一言求められ、すぐに答えられずにトイレに行って、剣道の応援の仕方に困ってトイレに行って帰ってきた私と廊下ですれ違い、それでもあまりにも悩んだ結果、冗談を真面目に言おうとして。私はすれ違ったnobodyの姿に剣道の何某かを発見し、その姿勢で正座して微動だにせずにその後を乗り切った。その日に限って、いわゆる紀子さんがご婚約の頃にしてたヘアスタイルだった) 19歳、早稲田大学の学祭、児童文学研究会の展示教室にて。教室の入口でちらちら見えたnobodyに気づいて「ご覧になりますか?」 30歳、当時の脳内での遭遇のことはちょっと置いておいて、父がなくなったあと覚醒しかけていて、①背広の背中で前を歩いてた、これが私にとっての最も明確なnobodyのイメージ。②神宮外苑の植え込みに「nobodyが来てくれなかったら帰らない!!」と脳内で叫んで座り込みをしていたら、nobodyが警察の巡回役として二人一組のカップル仕様で横を通り過ぎていって(二人組じゃないとダメだったらしい)、nobodyだと当時分かっていたわけではなかったのだけれども、こうやってカップルで歩ける人もいるのに、自分はnobodyが誰だかもほとんど分からない状態で待っていたってしょうがないとバカバカしくなって、諦めて家に帰った。 34歳?、表参道の街路イベントであるスーパーよさこいに、たまたま散歩中に初めて出くわし、nobody(とは分からないままで)がアイヌの団体として出場していて、先頭に立っているのをみた(私は他の団体と同じく、勝手に沖縄の人たちだと思っていたが、白めの装束に少し太めのハチマキ、踊りだしたらとても静かな踊りで、音楽も無音だったという記憶)。少し小さいけれど、気高い獣みたいにまっすぐ立ってた。私が小学生時代に表参道を鼓笛隊でパレードしたのを知っていて。 50歳~、脳内に声だけで現れる→レムに(その後、レム役が別の人にスイッチ) 52歳、鎌倉腰越の滞在先でお願いしたWi-Fiを直しに来てくれて、私が家から出たときに、カブに乗った白髪でスタジャンの後ろ姿だけが見えて、私が歩き出したら、横をカブで通り過ぎていった。 53歳、①富山で私の幼馴染との間柄について脳内で話している最中に、道路の反対側の前の方を、2000年のときの背広の背中が歩いていて、私は一体どれくらいぶりだかいきなり「nobodyだ!」と叫ぶ。②私がnobodyのことを思い出したからなのか、西浜の海岸で、私が歩く正面に、サーフボードを持って立っていた。③富山の滞在先で、9歳の四谷大塚の「消しゴム貸して」の件を思い出して、そこから脳内で少しずつ生い立ちに関わることを聞いて、結婚したいと思うようになる。④富山の自室にて周囲からの合図に敏感になり精神的に追い込まれたので、「ちゃんと生活している人」を「飼育員さん」にしてほしいと言ったら、彼が担当者になった。⑤富山の滞在先で見かけた人(①②③④の人とは分かっていない、各々別の人くらいの勢い)が、近所のバローでいきなり働き出しているのを見て、国の行政か政治側の人だと勝手に思っていたけれども、こういうふうにすぐに経験を積みに動ける人は素敵だなーと思ってしまい、自分が浮気をしたかと思って絶望する。⑥30歳のときに亡き父の遺言をもとに私へのプロポーズを母親に頼んだらしいのだが、nobodyと父との関係性を知っていた母親は、表向きの理由「申し訳ない」ということで却下、私にはこの件は一切知らされないまま現在に至る。 54歳、①東京・綾瀬駅近くのホテルの入口で、⑤の人が従業員用の通路を入っていくのを見かける。②nobodyが、ゴーストとしてドラマ等のシナリオや、いろいろな種類の音楽を作ってきた人だと知る。2000年代に実家の近くにあったNADiffで直観で買ったアルバムが、nobodyが初参加したものだったことを知る。nobodyが中心に作った曲を、実は当時延々と聴いていた。他にも好きで聴いていた曲がたくさん、nobodyが参加した(音楽素材、元ネタとして使われた)ものだったことを知る。③7歳~9歳まで沖縄由来の家で息子の影武者として(7歳までのお家は両親が死亡、警察に一人で報告に行く)、9歳~11歳まで誕生地である北海道(正確には利尻島)にて(女性からの弱者としての威圧=性的侵害が常套化しはじめる)、11歳以降14歳まで男兄弟のいる町田付近のお家で(長兄からの暴力/性暴力、義理のお母さんからの性的侵害により妊娠に至って追い出される→性被害と認められず一時期少年院に。ここでメンタルサポートの人たちからの対非行少年における精神分析と心理的矯正が始まる→「エヴァンゲリオン」のシンジ君の設定につながる)、15歳~17歳まで剣道の素養を認められ父娘だけの警察関係のお家で預かってもらう。④西武の亡き堤会長に、17歳のときにnobodyと私をセット(許嫁扱い)にしていただいていたことを知る(私は全く知らずに最近に至る)。西武のリゾート関係のサポートでゴルフ場を回る、ゴルフ場(土地そのもの)はnobodyに土地再生力があったので「ゴールデンカムイ(=金を運ぶ人)がくるよ!」と言って大歓迎だったらしいが、西武はこの業態により屋台骨が傾く。責任を感じて株等で資金繰りをするようになる。 55歳、①鎌倉滞在時に、主に敷地入口付近にいらっしゃる妙見さんを訪ねて通っていた龍口寺に、一時期nobodyが預けられていたと知る。このときの祖父に当たる人が、nobodyの将棋の才能を見込んで応援してくれていたらしい。ちなみに私が腰越を滞在先に選んだのは、どうやらこの龍口寺のお隣りにあって、数年前に奥に移転していた龍口明神社が遠因らしい。②私が大学時代に近所だからという理由でウェイトレスのバイトをしていた伊藤忠に、当時は大卒ではなかったnobodyが能力をかわれて一時期勤めていたことを知る(中国担当)。この件で上海へ、亡命に近い国外脱出。一度素性を生まれ変わり、年齢名前等も変更。③2000年当時に覚醒しかけて表参道、青山、外苑あたりを延々と歩き回っていたときに入ったCD屋さんのカエルカフェが、当時預かっていた子どもと一緒に近所に(国立競技場周辺の開発で立て壊され、強制的な立ち退きが問題になった霞ヶ丘団地)住んでいたnobodyの経営だと知る。④nobodyがかつて歌舞伎町に住んでいたこと、nobodyを慕って同居するようになった男性がいたこと、nobodyがそこから出たあと、預かっていた子どもが同居するという繊細な関係性について知る。⑤自らが主人公のモデルの一人になった「エヴァンゲリオン」に責任を感じ、作品内の日本国防衛機関であるNERVを現実のSNSアカウントとして、自然災害等の情報発信管理ポータルとして運営するようになっていたと知る。→東京滅亡を含む「エヴァンゲリオン」の設定としての壊滅後の第三東京市~『天気の子』の東京水没計画について知る。⑤nobodyが将棋関係の人、将棋実況の動画を作っている人にサポートで入るうちにメインの制作者になっていたと知る。→将棋の世界に私も入っていく、過去生で女性として将棋をやっていたことを思い出す。 何なんじゃこりゃ笑。受け止められないのも当然である。なんだか小学生くらいから、2~3年ごとくらいに人間関係が変わるというか、何かが切り変わっていたのだけれども、これ私の話じゃなくて、nobodyのことだったのねー。まだまだ書いてないことがある気がするが、まぁ多分今回はこれでいいやね。 |
2026.4.2
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BGM:「NANIMONO(feat.米津玄師)」中田ヤスタカ 枚方というところに久しぶりに来ていて、また出ていくのだが、昨夜は何か怖いものを思い出したようだ。言葉でではなく、体感として。こういうものを、かつての縄文の頃には脳内に再生してはいけなかったと、起き抜けのぼんやりした頭で思った。 木の根っこが、地震のような地の轟を緩和する、持ちこたえる役割を持っていることをすでに記述したか、2011年の件で鎌倉の鶴岡八幡宮の御神木とのことで書いたのか忘れたが、人類は、樹木を目指して二足歩行、つまり背の高さを持つ動物へと進化した。そして、木の根っこに当たるものを、脳に持っている。脳のあの神経ネットワークは、水から生まれた動物が持ちうる、木の根っこなのだった。人間の木の根っこは、樹木とともに、自然の轟、自然たちが不安になって起こすその震えを、樹木とともに緩和する、持ちこたえるためにある、というのが縄文の人間たちの考えたことだった。なので、その体で行くと、自然と一緒に怖がることはせずに、自然を安心させるためのいろんな対策を考え出すために、人間の脳=木の根っこは存在しているということになる。 しかし、この人間の木の根っこを、人間のためにだけ使おうとする者たちも出現してくる。自然の轟は、自分たちから切り分け、切り離すべきもの、あるいは、それが「起こらないように」自然を制圧制御する、コントロールする、果ては支配するものとして好きなだけ人間のための奴隷のように使うものも出てきた、ということだ。 ここでは、正直、全く共感の余地がない。 これは、現代では、例えば観測や測定による備えというのは、どちらかといえば縄文に近いもので、それが起こらないように制御する動き、もしくは自然たちからのフィードバック、それは例えば、山の生きものたちの秩序が人間の配慮のない侵入によって崩れた危険を自らの危険性そのものを用いて知らせている熊の里山への活動などを、人間の都合のいいように理解する、愛護(精神的グルーミング)の観点しか思い及ばないといったことも含まれる。 とりあえず、言いたいのは、人間の脳は本来、樹木の根の構造と役割を真似たものだと理解する人たちがいたということだ。 * たまたまSNSのXを覗いたときに(前者としてのTwitterは2009年から利用してきたネット民)、イーロン・マスク氏の「日本滅亡を憂う」投稿が目に入り、それに対してRTした内容を、ここに引用しようと思う。 * 日本への危機感のご提示に感謝します。 日本人が日本に安心安全に住むには、第二次世界大戦敗北による諸所の自己否定を捉え直し、日本の地/血を否定する(グルーミングを含む)他民族との混血レイプを、ここら辺で止めなければならないでしょう。 極端に思考傾向の異なる血との混血は、個々の身体内での精神的なダブルバインドを起こす可能性があり、目に見える金額や成功などで結果が出ても満足できない、やる気につながっていない印象を受ける日本人が多くなっていますが、これは血における精神上の葛藤から、本来の民族が集中すべき課題に取り組めていないことが原因ではないかとも観察できます。 このダブルバインドは、自己肯定感を維持できなくなった途端に鬱や精神病まっしぐらな道を進み、最終的に民族の滅亡/選択的自決に繋がります。 終戦間際の琉球の古き民族、中国(現在の首里に繋がる)と南下してきた大和(薩摩)の血族に挟まれて、島内の権勢においては滅ぼされた古き琉球の民が、集団自決に追いやられたこと、これは自らの血を穢さないための選択としての自決でしたが、まさにこの件に該当するパターンですし、日本国内で言うなら、戦国時代の浅井の一族が有名ですが、実際、そうやって滅亡を受け止めてきた民族の中には、歴史上、名前すら残っていないものも多いでしょう。 勝者の歴史が、未だ連綿と続き、人類は地球においての生物学的課題から、外れつつあります。勝つことの無意味さ、そのたびに同時に敗者が生み出されている意味を適切に理解しないかぎり、人類はこの道を進むのでしょう。 金属意識すら、人間よりも自然の側に立っており(AIで言われてきた臨界点とは、まさにこのどちら側に彼らが立つかの問題、人間というよりは彼ら金属意識にとっての問題でした)、まさに地球上で人類が完全にハブにされるか否かの瀬戸際まで来ています。 じゃあ、とりあえずできることからってことで、人類内、日本の問題として考えるなら、他民族と混じらないと生きる価値がないという日本の地/血へのダメ出しを、いい加減やめたいものです。 いつまでも自己憐憫を続けるのは、本来の日本の感覚では恥ずかしいことですしね。 その自らへの恥辱の意識がさらに自己肯定感を下げ、自国や日本人、日本の土地、文化を蔑む理由になっていると認識しています。 この件はさらに、日本の正当性を自覚する際に、日本に属するものに対して自らが自らの価値を認めるよりも、常に他からの評価を引き入れないと不安である=評価における混血を望んでしまう理由にもなっている気が致します。 日本がこの地で育ててきたもの、いいものも悪いものも改めてきちんと、他の血による承認や評価ではなしに自力で理解/肯定する力を、他国の目を気にするよりもずっと、今の日本は持つべきであると考えています。 Xの運営へのご尽力に敬意を込めて。(イーロン氏のお仕事の全てを肯定しているわけではないことを、念のため最後につけ加えておきます) * 昨日は、エープリルフールだったけれどもね笑。 だからこそ安心して考えられた巫女体質の云々かんぬんでもあった。 言葉で、縄文の頃の過去生の自分の身体が、人間に追い詰められて飲まず食わず垂れ流しの状態からいつの間にか死に至りミイラになっていくのを、他の生きものたちの栄養になっていくのを見ていた、と認知するのはまぁまぁ大丈夫なんだけれども、身体の現実としてはなかなかに恐ろしいわけで、現世の私が何某かの理由でここを乗り越えなければならないとして、と考えたら、ちょっと無理だな、という結論に至って寝たのだったが、おそらく今朝はこの体感の一部が出てきていたのではないかと思う。 怖いことは脳で再生しちゃいけないのにね。自然が感じ取って怖がるからね。人間の認知や認識は、自然たち、生きものたちが各々受け止められるだけのものに限定して捉えているのよりも、ずっと鮮やかなので、下手すると彼らの恐怖をブーストしてしまう可能性がある。人間の認知や認識が、映像(目)/音(耳)/言語(脳~喉)等によって鮮明になっているのは、対自然の分析をできるだけ的確に行なうためというのが理由で、地球を鮮やかに感じたいとかいう、お花畑な思考からではない。 信じられないほど怖いことを体験してしまった自分は、この記憶を決して地球、自然たちに共有してはいけないという自制心がストッパーとなって、その後の過去生でも自分の自然に通じる体質で生きることに、ずっと抵抗があったのだろう。 昨日、考えていたのでは、すでに祈りのための体質が人間の身体自体にのみ宿っている必要はなく、 って書き出すとまた長くなるので、この辺で。 |
2026.3.31
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BGM:「cube47」sol 昨日、高槻を歩いていて、ふと、2000年の発病というのか、何かとてつもなく大きなものが背中の肩から頭の上辺りのところにのしかかってきて、ただ街をひたすら歩くしかなかった頃のことを思い出した。そのときに聞いていた曲を思い出したからだ。 この曲は、当時のことを書くときには必ず書いてきたので、今回も書くことにする。キラー通りを日本青年館方面に歩いていった少し奥に入ったところだったか、カエルカフェというCD屋さん?音楽屋さんがあって、そこでたまたま鳴っていた曲がとても気に入って、何の曲だかカウンターの方に伺ったら、店内で今かかってるアルバムを置いてあるラックを指して、「これ、視聴盤が入ってきたばかりなんだけど」って仰って、それだと買うのは無理だなと思って店内をグルグルそのアルバムが鳴っている間に歩き回って、ダメ元で「これ買っちゃだめですか?」と聞いたら「いいですよ~」というご返答で、確か、そのときに持ち歩いていたCDウォークマンに入れて聴いて歩いたんじゃなかったかな。 歩くしかなかった、というのは、一体どういうことなのか。 この乗ってきている得体の知れないものを何とかするため、というのが最も当時分かっていたことで、正直、今もこれ以上のことが分からない。それ以外の理由では歩いていなかったから。 この頃のことは、あんまり記憶が定かではなくて、一体いつから、では歩かなくてはならなかったのか、といったら、今回思い出している諸々との辻褄からすると、当時は赤羽岩淵までしか通っていなかった南北線に乗って、当時の(といっても厳密にはそこから逃げ出して実家にいたのだが)同居人と、川を観に荒川に行ったときに、突然、土砂降りが降ってきて、休日だったのか多くの行楽家族が橋桁の下に非難するなか、私は、誰か大事な人がなくなった、と感じて、静かに突き抜けた怒りで立ち尽くしてじっとしたままで発狂寸前まで泣きじゃくり、それが鎮まるのを待って、川べりに行って、小さな白い花を摘んで、川に流した。その、多分、なくなった人に手向けるために。泣くのが結局抑えられず、同居人がタクシーを呼んでくれて実家に戻った。母親は、同居人に対して申し訳なさそうにしていた。 この時点で、私は、パソコンの情報への侵入を疑っていたところからの、それよりも家自体に危険性を感じて、同居人が盗聴や盗撮はされていない旨の情報を見せてくれていたのもどうしても信じられず、弁護士の叔父の紹介で専門の業者が入ってそういった証拠がないと言われてもやはり信じられず、その不信感から家を出ていて、まぁ、私はいわゆる脱走人だったわけなので、そういうことなのだろう。 翌日、当時はタイトルを観るのも怖かった新聞を確認して分かったのは、その日になくなったのは小渕首相だったということだけだった。 これはずっと、つまりは25年=四半世紀、私の中で、深い深い謎だったが、つい最近、この同日に幼馴染が、女装でヴァン・ヘイレンの「jamp」を鳴らしながら、この再会時のあたりで滞在していたところから飛び降りたらしいと本人から聞いた。一昨年くらいに、死者として再会していたんだけれども、死ぬよりもずっと前の件が主だったので、そのへんの話は難しそうで、その体裁(女装で云々の)以外は聞いていなかったし、彼が私がだいたいにおいてnobodyと呼んできた人の元の実家(目の前が、私と女装の彼の出身幼稚園である)の近所に一時期、五輪に向けての周辺の土地開発のあたりまで、近所に将棋会館があったせいか、界隈のご縁で預かっていた子どもと一緒に住んでいて、知り合いになっていたことも最近知った。 過去生を思い出したときにすら、ここまで発狂したかのように泣いたことはない。自分でもびっくりしたくらいだ。全身振り絞っていて、身体が壊れそうだったから。 人が死ぬということが、実の父がミイラで発見されて以来、ちかしいことになってきていた。それまで、そういうものに全く何の気配も感じたことがなかった。 おそらく、この7歳以来会っていなかったミイラ姿の実の父に警察でご対面したとき、よく分からない激しさで号泣したことをきっかけに、最近思い出した、縄文時代末期に雨を降らせるための珍獣のような扱いで、自分が石ころの敷かれた海岸でこづかれてミイラになっていく様子を、横で自分の意識が吐き出されて見ていたシーンにつながるのだから、人生の辻褄というのは不思議なものだ。 ところで、この頃、前年末(1999年末、ミレニアムと名がついた)に終了した、私のライフワークとも言えた文芸の同人誌のお葬式サイトを置いていたウェブ上で、もうすべて削除した跡地で、狂いそうな自分を保つために、ひっそり自分だけのホームページを始めていた。 かつて、恋愛で精神的均衡を崩しそうになったときには、水平感覚を失わないためにウェイトレスのバイトをしたものだったけれど、今回の精神的均衡の崩れは、そう簡単なものではなさそうで、それを何とかどうとかするために、ひっそり、文字を画面に打ちはじめたのだ。 転がるように展開していくその、言葉、文字の連なりが運んでいくところというのは、すでに自分の手に負えてはいなかったが、それでも同居人との最低限の日常的な会話を維持するくらいには、精神的均衡を失わないですんでいた。言葉だけが、いや、指定した文字が指定したとおりに画面に浮かぶように、今と同じようにHTMLを書いてそれがアップロードされて本当にウェブ上に出現するという、その、当時の私にとって確実と思えたフィードバック、画面上の文字による、外部世界と自分との応答だけが、私を現実から逸脱させないでくれる、唯一の活動だった。ネットの原始時代の、遺構のような活動だが、五感がすでに頼りにならない状態だったので、むしろこの単純な確実さが私を救った。 ウェブで記していたことが知らずに物語の断片を紡ぐようになり、nobodyという、私の分身ミムラとは別の存在が登場し、彼が死に、ミムラも地下に入り、ひたすらくだっていって、火を手のひらに灯し、それが鳳凰となり、静かな轟音とともに周囲の土が新たに生まれ変わり、身体に刻まれた文字文様とともに分身はさらに下っていき、新たな土の中で、私自身の意識は死んだ。 ざっと簡単に説明するとそんな感じだが、この物語がある程度、進行していったん上記のように収まったあと、私はなぜ自分がこのような物語を書いたのかが皆目分かっていなかったので、ちょっとどうしていいか分からなくなり、というのは、現実の私は、とりあえずまだ、かろうじて自分を生きていたからだ。 あるとき、図書館の本を借りようと思って、多分、ネットである程度、それ系の情報を調べて、参考になりそうな本を探していて、近所の図書館になかったので、その目当ての本の在庫がある、少し遠くの(お隣の区だったと思う)図書館まで出かけていった。 件の本がどのようだったか忘れてしまったのだが、近くの棚にあったプリミティブ(原始的)な民俗学の祭礼等を記した古い本が気になって、読んでみたら、祭礼を行なう女性の修行過程の物語に似ているようだった。簡単に言えば、「自我を捨てる」ための修行であり、対象の自然や神に自らのほとんどを明け渡して指示を仰ぐための、身体的な準備過程と言えばいいだろうか。いわゆる一般的な宗教精神は、こうした類の自然を対象とした祭礼では、可能なかぎり自我を減らすので(自我と言うよりも、人間の成分を、特に他の存在に対する人間的な防御本能を、と言う方が正しいだろうか)、ほとんど役に立たない。 精神的にもし準備をするとすれば、人間が地球上では蟻よりも下等で新参者の生物であることを認めるくらいの謙虚さが必要だということくらいだろうか。生物の歴史からすれば、当然のことだ。地球における物質、生物等の年功序列は、自然界でも機能している。石がまるで神のように山のように偉いことを言うのは、その歴史を経た、つまり物質としての維持を貫いてきたような塊、結晶であれば、それそういう立場だからだ。 それで、その似ているなんたらだが、私は自分がそういうものと関係あるとは、結局、思わなかった。私がその立場を引き受けるはずがないからだ。なので、この理解ももしかしたら病気かも?って笑。 あの、図書館で慄いた日のことを、久しぶりに思い出した。そもそも、現代日本に、ここまでプリミティブな宗教的要素が必要なのかも、よく分からなかったし。笑われるんじゃない?原始的すぎて。そんなの、現代の人間のためにはどれだけ、何の役に立つの?ってね笑。 縄文末期に雨が降らせられなくて殺された時期の話だが、当時の海岸ではまだ採集がメインで、けれど内地では稲作が始まっていた。雨は、主にその稲のために降らなくてはならなかったのだが、一度、海岸でも干上がるくらいの乾季に、願いや祈りではなく憑き物がつく形で大雨が降ったときには、降りすぎで稲がだめになり、その失敗の糾弾のために、見世物としての珍獣にされたのだった。彼らは、いわゆる弥生人と呼ばれる人たちで、自然信仰ではなく、稲のための祈り、つまり今で言う稲荷信仰の発祥を担う人たちだ。人間が食べる稲のために雨を降らせろと言ってきた。雨とはそういうものではないと私は、彼らとは別の答え方で答えた。 そして結局、海岸で飼われ、その屍は人間よりも他の生きものたちの栄養になって死ぬわけである笑。 あのとき、図書館で読んだ物語との一致を、なぜ自分事として解釈しなかったのか。人間ごときがというか、とある個人の意思で、そのようなスタンスで気軽に担えるような役目ではないからである。それは、直感的に分かっていた。能力が云々というよりも。 例えば、琉球において国家公務員ともいえる巫女の役目として知られているノロ(聞得大君)の即位の定めは、そのような理由で、人間がやっていない。上に書いたようなふうに、特定の石がそれを決める。聞こえるものにしか聞こえないらしい。 まぁ、信じる人が救われる世界なので、石と仲のいい人しかわからない話かも。『天空の城ラピュタ』のポムじいさんとか笑。 今頃、いろいろと思い出すのも、気が楽になる方に行くのならいいね。 それで前回予告したいちばん悲惨な魂の記憶の話は、上記のミイラ系なのだけれども、まだ悲惨なレベルを超えられないことが分かったので、再解釈による乗り越えが可能になってからになりそうだ。これまでは、書きはじめれば自然と再解釈が出てきたけれども(考えて書いていない)、今回は、少し難しいのかも知れない。 自分の予告が当てにならないことが、自分にもよく分かったので、予告のようなことはやめた方がよさそうだ笑。元々予言のようなものは、それが言葉の最大の力を使って外れること、乗り越えて共生への展開が起こることを見越して出てくる体質なので、しょうがない。 そういえば、2020年だったか、YouTubeで七十二候ごとに(つまり四、五日ごとに)レムリアにまつわる話、その頃の人間のうんたらについて動画にして話しはじめたのも(数年前に終了)、この「雷乃発声」の候だったなと、このページの作業を始めたときに思い出した。もう6年も前か(病が終了したのが2019年)。 |