【2025 梅子黄】
うめのみきばむ
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アシタハココカラ
2025.6.20 second
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【ヨルとイオ】後編
pieces of the puzzle
イオは、病院のベッドの上で、今日もただ天井を眺めていました。そして気がつくと、涙が顔の両端に落ちているのでした。
あの日、街で偶然会って、ここに連れてきてくれたヨルが、まだイオが一人のベッドにいるときに、話してくれたことがあったのです。 それは、最初から最後までイオには、彼のマネージャーでありながら、全然想像がついていなかったことばかりで、それをイオにさえ黙っていた彼が、このもう一人のヨルと共に、どのくらい受け止めているものが大きかったかを考えたら、イオのことではないのに、自然と泣いてしまうのでした。 もう一人のヨルが話してくれたのは、 自分は、イオが知っているヨルではないこと。 ヨルというアイドルを、一人二役でやってきていたこと。 しばらく前に一緒にクビになって、今はヨルを他の人がやっていること。 自分は今はこの稼業で、イオが知っている彼はいろいろあってアメリカに逃げてそこで生まれ変わっていて、顔も変えているので、イオが彼に会っても彼だとは分からない可能性があること。 イオの様子がおかしいことを彼は遠くにいるはずなのに知っていて、自分にさりげなくヨルとして様子を見に行ってほしいと頼まれたこと。 イオには許可をもらわなかったけれど、イオと赤ちゃんのことは彼に伝えてあること。 イオと接触していたのは、ほぼ彼だけだったこと。 といったことでした。 そして、今の彼のことは、申し訳ないけれど自分の口からは、手がかりになるようなことすら伝えられないのだ、ということも。 「でもリウ、僕は、二人のときだけ彼のこと、ヨルとしての自分と区別がつくようにリウって呼んでるんだけど、リウはきっとイオさんのことをいつも気にかけてる。彼と長く一緒だから分かるの。そのことは、彼がイオさんの事情を知ってもここに来ることができないような状況では難しいかもしれないけど、信じてあげてほしいな」 ヨルはそう言って、お店の名刺のようなものの裏に電話番号をメモするとイオに渡して、 「あんまり僕じゃ、役に立たないかもしれないけど」 と笑いました。確かに、その表情は、ヨルのものとしてイオが見たことのないものでした。 「リウとあなたのこと、ぶっちゃけうらやましかった」 とヨルは、病室を出ていくときに、背中のままでそう言いました。 「イオさんも、多分リウも、だいぶ経つまで気がついてなかったみたいだけど、そう思ってた人が意外にたくさんいたのかもしれないんだ。そのことが、結果的に二人のことを引き離したし、それが二人を不幸にしたとか思いたくないけど、そう思い知らされるときが、いつか、来るかもね」 イオは、心の奥でそれをとても驚きながら黙って聞いていました。 「僕からのお願いはただ一つ、イオさんは自分が悪いとは思わないで?これはきっと、僕よりリウがそう思ってるから」 そう言い切ると、ヨルはその背中のまま右手を上げると、廊下にコツコツ靴の音を立てて、遠ざかっていきました。 イオは、ヨルの言葉を最後まで黙って、さらに彼が病室からいなくなっても、何も応答できないでいました。 特に最後のお願いについては、それはなかなか大変なお願いだな、と笑いそうにすらなりながら、同時に、もう一人のヨルにはリウと呼ばれているらしい彼に対しても自分に対しても、事情が知れたところで何の対処法も思いつけず、そんな自分が悔しいからなのかこの込み入った事情自体になのか彼に会いたいからなのか、もはや何もよく分からないまま、ただ涙が止まらずにいるのでした。 |
2025.6.20
ある峠のトンネル内の
天井に開けられた明かりとり
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【自分をもう一つの性別だと考えたとき】
thoughts of piece
2000年以来の、一人で考えていい時期に入った、のだと思う。
あのときも、自分に、自分だけに焦点を合わせるほか、生きのびるすべがなかった。 過去生を多く持つ魂であっても、全部で一つの人生と考えたときには、これはいわゆる、男性性で卑下されることの多い、モラトリアム期間に該当するわけなのだろうか。そんな悠長なものではないのだけれど。 「だとしたら、あなたはまだ病気なんだよ?」 とnobodyの声がする。 2000年の精神の超緊急時に、私の前に現れた人、どうしてかnobodyと名付けた人が、実は過去生を含むいろいろな場面で知った人だったということ、今回の人生では彼はだいぶ有名だったことがある人のようなんだけれど(と言ったら小さな茶色い蜘蛛が左手に降ってきたよびっくりした)、その頃にはむしろ全く知り及ぶことがなかった。 彼を視界に入れたときの様子を、まるで写真のようにあれだけはっきり覚えているのに、しかも人生においてかなりの負担をかけているようなのに、私の中でここまでの長きにわたって現実の人間につながらなかったことを、どう考えたらいいのか分からず。 少なくともある過去生、それも私が唯一男性だったときの人生で、彼は(そのときは彼女、血で言うと私とは少し別のルーツを持つ、ある種の絶世の美女だった)私の最愛の人で、社会的には素晴らしい功績に思える伴侶同士でも、政治的な理由で彼を好奇の目に曝さざるを得ず、3次元的には人生のほとんどを近くで生きることができなかった、個人的には全然嬉しくない展開を経験した人で、その後も性を入れ替えて出会い、愛し合っているはずなのにまたも(だから、とも言えるのかもしれない。お互いを守りあうような温かい関係性が、人間のあいだでは肯定されるばかりではない時代が続いているから)悲劇的な展開に陥っていて、私は彼(彼女)に対して、共にいるための自信を、おそらく完全に失っている。 こんなとき、流行りの運命論というのは、多少の補助線をくれるものなのかもしれない。 (先ほど左手にやってきた蜘蛛は、今はパソコンの画面の左上あたりで、こちらを窺っている) 「ツインレイ」という言葉がある。 魂の伴侶とでも言うべき関係性らしく、魂においてかなりの補完関係にある存在同士、と言うのがいいだろうか。 補完の程度が半端ないので、二人が近くにいると、自他の目線から見て共に強烈な関係性に映るらしく、共にいようとすることをお互いに(表面的には)激しく敬遠したり、周囲からも引き離されたりする。 お互いが一緒にいられない危機感から、余計な能力を携えたり発揮したりしてしまうこともあるようで、それが周囲にも余計な脅威をもたらすのだと思う。 (今度は滞在先のルーフバルコニーの外に多く茂って生えている木に、鳥がやってきている) 私は、これまで、この大切な「誰か」(ちなみに、彼を完全に具体的な人物と特定できたのはほんの数日前のことだ。目の前でほんの一瞬出会ってから25年、四半世紀も経っている)とのことを、まぁ当然のことというのか、これまでは自分が女性で彼が男性だと思って認識してきたのだが、ここまで来て(上記の過去生も考え合わせると)男女逆の役割として考える方が、ツインレイ的には理にかなっているらしいと分かった。 今回の性別の通りに進んでいるときもあったのだけれど、おそらくは(魂的に最初の出会い、もしくは印象的な人生がそうだったからなのか)逆の性別が本来で、今起きていることのほとんども、その方が理解しやすい。その方が、自他共に取り扱いやすいというか、誤解が起こりにくい気がする。 誤解というのは、彼に対して私が(特に社会的に)「適切な女性でいる」、つまり彼に対する女性としての適性を備えているべきだ、そうでないなら両者とも別の相手に気持ちや時間を割くべきだ、といったようなプレッシャーを周囲からめちゃくちゃ受けているのだが(この人生では元々男性として注目を得てきた人で、一方の私は長く病気をしていてまるで地味な人生なので)、それができない(もしくはそのことに対する判定が終わらない)せいで、事情が停滞しつづけているようだからだ。 そしてここまで書いて、温かいものを飲もうと思って用意している間に、最近は実はとっくに「適切な女性でいる」ことを試されるターンから、「適切な伴侶でいる」、つまり、女性性だけでなく、男性性も求められるターンに入ってきているのだと、ふと理解した。なかなかにキツイ、認識のシフトである(笑)。 ツインレイのある種の典型パターンでは、社会における地位などいわゆる外的なペルソナの破綻によって、それまで耐えてきた常識が崩壊して、精神の路頭にさまようツインレイ男性を、ツインレイ女性が(これは適切な「対」になっていて初めて機能するようになっているらしい)社会経済的にも支える段階というのが存在する。 これはどういうことかというと、別に自分との出会いによってダメダメになってしまった彼を彼女が救う、という表面的なパートナー問題をシナリオ化しただけの意味ではなくて、社会の常識が大きく変わろうとしている今の時代に、自己の外的要素としての男性性(なのでこれは女性においての男性性も、なのだが)の崩壊を、二人で受け止める、というような感覚なのだと思う。 そのぐらいのつもりでないと、この今の、いわゆる地の時代から風の時代への、極端な変革のハンドルを完全に切り切れない、ということでもあるのかもしれない。 ツインレイ女性は、比較的、生育環境においても自立していて、これらの外的要素としての男性性を、人生の必然において(多くは悲劇的な経験を伴って)すでに更新している人が多く、一方のツインレイ男性は、精神変革が終結する、その最後まで常識の砦を守ろうとしている人が多く(一気にすべて崩れたら社会がヤバイからだが)、だから女性側が、社会的地位や精神の崩壊を起こした男性側を救いやすい構図になっている。 そうしたような崩壊が起こるのは、ツインレイ男性本人が時代遅れだからなのではなく(この令和の時代にあって、該当年齢的にも昭和な雰囲気を醸し出している人が多いのは事実かもしれないが)、むしろ変革の必要性を潜在的にであれ痛切に理解しているので、それを極端な状況としてでなく(その崩壊の極端さは、むしろ自分が社会から逸脱する形で、個人として引き受けている場合が多いように見受ける)、全体としては安定したシフトを望んでいるからだろうと思われる。 要するに、精神的な領域としては、これも時代における重要な仕事である、と言っていいと思う。 そんなこと言っても、個人的には全然解決の目途なんか立っていないのだが。 正直、自分がツインレイなんとかであろうとなかろうと、私は自分のどこが崩壊したのかも、自分のどこを回復したら再び自分らしいと感じられる自分になれるのかも、全く見当がついていない。 下記で(これは実はもう何度も)カードにも聞いているように、自分の容姿や顔への「自分らしさ」の認識が、どんどん追い詰められて、自分への自信としても逸脱していっている。 そもそもこの文章は、その「見当のついてなさ」をどうにかしようとして書きはじめたのが、書きはじめた理由で終わってしまうという、文系寄りなダメダメさを露呈しているが、いったんここで終わろう。 |
2025.6.19 second
OSHO 禅タロット(OSHO International Foundation, AGM Urania)
とやま寿司トランプ(graph)
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*自分の外見への違和感について
①いつからこの違和感、自分と外見の隔たりが生まれたのですか? ❶ソードのペイジcompromise)、ペンタクルのエースcompromise)。mind(エゴ)が自分を守らなくなってからです。自身の成熟のイメージを抱けなくなってからです。 ②本日のサビアンシンボルは双子座28度「破産宣告された男」です。私は何某かの借金をしているのですか?それは外見への違和感と関係がありますか? ❷ペンタクルの6R(compromise)。循環していません(関係ありません)。カップの4R、ペンタクルの9。単なる妄想でなく、確実に実りは進んでいます。 ③ぶっちゃけ、外見への違和感の理由はなんですか? ❸ワンドのキングR(the creator)。創造しないからです。 ④何をどのように創造すればよいのですか? ❹ソードのエース(consciousness)、力R(breakthrough)、ソードの3横。気づきではなく、ブレイクスルーを狙うのでもなく、ただ自分が自分の窓から見たものを。創造する際に、これまで自分にしてきたようなジャッジや厳しさは逆効果です。自分に突き刺してきた剣は横にしておきなさい。 ⑤お寿司トランプから言いたいことはありますか? ❺ワンドの8R、ソードの7、ペンタクルのキング横。急がずに、やってやれぐらいの気持ちで。成果は望んでよいしいい形でやってきますが、それまでの期待は横に寝かせたままにしておきなさい。 |
【築蓄ver.1.6】
約20年飲んでいた強い薬のせいで、
最初は(しかも1年ほどのあっという間に)
体型が激しく崩れたのだとしても、
病の終了後、
その薬をようやくやめられて4年くらい経つのに、
鏡を見るたび、
自分の体型や顔がますます、
自分らしさの感覚から遠ざかっているというのが、
今の私の最も大切な課題なんだろうと思う。
これは単に筋トレとかして
痩せたらいいという話ではなくて、
社会からの逸脱による
アイデンティティの崩壊の結果なのだということ、
その回復に際して、
過去生や潜在的に起こっていた
(つまり当時は気がつけなかった)過去への
邂逅にまで至らないと、
この違和の調整に対処できないということ、
その回復の過程が、
確実に進んでいるという意識は持っているが、
果たしてゴールがあるのか、
この自分の姿への違和感に、
終わりが本当に来るのか、
それが社会との距離、
もしくは私の人間外のものたちとの仕事に、
どれほど関係があるのか、
もしくは、
過去生に端を発する、
不信の極みにある人間との関係に、
どれほど関係があるのかは、
まだ見えてこない。
分かっているのは、
何でもかんでも回復しようと
したらいいかというと、
そうではないということ、
自分の資質に適した回復でなければ、
自分の、特に外見への違和感は、
なくならないだろうということだ。
今は、人の顔が怖い。
視線とか、
そういうことよりも、
顔というものの存在、
それ自体が怖い。
午前1:52 · 2025年6月19日
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2025.6.19
採録は6/18。普段と違い、
外でスマホを持ちながら話しているので、
声量が安定していないのと、
道路付近のいろんな音も入っています!
2025.6.17 second
2025.6.17
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【ヨルとイオ】後編
pieces of the puzzle
イオは、珍しく、夜まで眠ってしまいました。
昼に目が覚めて、何となく冷蔵庫にあるものを食べて、できるだけ水を飲んで、ダメ押しでトイレに行って、それからまた休んだのです。 それは具体的なきっかけがあったというより、いつの間にか、イオの生活に滑り込むようにやってきた、よく分からない状態でした。 近所でのアルバイトの仕事を、めまいがひどいのでやめて、しばらく経っていましたが、買い物にも普通に行けていましたし、お風呂の時間が多少長くなりつつありましたが、翌朝、布団から出られないということはなかったからです。でも、実は、イオが何より大好きなはずの食事が、何を食べても全然美味しいと感じなくなっていたこと、明け方のほんの少しの時間しか眠る、つまり気を失うことができずにいたことに、イオは気がついていませんでした。 ヨルのマネージャーの仕事を辞めて、約2年が経っていました。 スーパーはすでに閉まっている時間だったので、イオは、少し遠くのコンビニまで歩いていました。 向こうから歩いてくる人の気配に気がついて、その姿に見覚えがあることにイオが気がつくのと、向こうの人が右手を「はい!」と上げるのはほぼ同時でした。 まるで、下を向いて歩いているイオが、自分に気がつくのを待っているかのようでした。 「イオさんだ!」 とその人は言って、そのままの速さで近づいてきました。 「ヨル」 イオは、想定外のことに驚きすぎて、それしか言葉が出ませんでした。動くこともできませんでした。 「いやあの、ここにずっと立ってたいんだったら、別にそんな人目もないし、いいけど」 とヨルはしばらくして、笑いながら言いました。 ヨルの服が、あの頃よりもかなり派手で、アクセサリーが倍ぐらいのウエイトで身体のあちこちから下がっているのが目に入っていましたが、イオは、そこから地面に視線が下がっていったままで、まだ動けずにいました。 「イオさん?」 とヨルはいつものように、顔を傾けて、少し覗き込むように言いました。それから、 「イオさんちょっと」 と言うと、 「歩いて?」 とイオを促しました。 「数歩でいいから」 イオは、そこでようやくヨルの目を見ました。 「ごめん」 とイオは、自分の身体をその立ち姿のまま、確かめるように言いました。 「無理」 「そっか、分かった」 「ちょっと、そのままいて、飲み物買ってくる」 ヨルはコンビニに走って逆戻りすると、ポカリスエットや炭酸水、お茶に水、イオが普段飲んでいたものを数本買ってくると、 「今の気分どれ!」 と言いました。 その様子が可笑しくて、イオは、 「うーん」 と言いました。選べない自分に、内心驚きながら。そんなこと、かつてのイオにはなかったので。 「イオさん、もしかしたら今さ。あんまり誰のことも信じたくないかもしれないけど、僕のことは信じて?できそう?」 イオは声にならないまま、ただ頷きました。 「今から少し避難して、それから病院に行くよ?」 とヨルは、きっぱりとした調子で言いました。 イオは、病院と聞いて、身体が一気に固まりましたが、ヨルがちょっと引いたイオの、片方の二の腕をそっとつかんできたのがよかったのか何なのか、また頷きました。 この、おそらく救済措置が施された状況にすら、感謝することも泣くこともできない、そのことにもイオは気がついていませんでした。 唯一分かっていたのは、また、ヨルが目の前にいるということ、それだけでした。 「今のイオさんは、この感じだと、車はきっと酔っちゃうよね」 と言って、ヨルは、イオの荷物を全部持つと、一緒に、 「ゆっくりでいいからね?」 と言って、歩きはじめました。 「道は連れてくから、今はそれ以外、考えないで?」 イオはまた、声が出ないまま、頷きました。 しばらく歩いたとき、イオは、ようやく息ができそうな感じになってきて、それまで自分の息がとても浅かったことに気がつきました。 そして声が出そうなのを確かめると、 「ヨル」 と言いました。 「仕事、もしかして変わったの?」 「あ、ごめん、香りがキツい?イオさん、強い匂いダメだもんね?離れた方がいい」 そこまでのヨルの言葉を遮って、イオはヨルの腕をつかむと、 「ううん、そういうこと言ってるんじゃなくて」 と言いました。 「うん」 とヨルは答えました。 「ヨルだって、強い匂い、苦手でしょうが」 「うん。でも、今はそういう仕事なんだ」 「そっか」 「でも今は、後でね、全部話すから、今は歩くのだけに気をつけてて?」 「ヨル私、今すごく言いたいことあるんだけど言っていい?」 イオは、ヨルの腕をつかんでいた指にさらに力を入れながら、またヨルの声を半分さえぎって、聞きました。 「いいよ?」 「ごめん、あのね、ヨルとの赤ちゃん、いたの、生まれてみたら死んじゃってた」 イオはそう言うと、そのまま倒れるように気絶してしまいました。 |
2025.6.16
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【映画『永遠の0』(2013) 感想】
thoughts of piece
映画『永遠の0』を、機会があって拝見した。
戦いが大嫌いな私が、初めてちゃんと観た、いわゆる時代劇ではない戦争ものだったと言っていい。 戦後80年といわれる年、この映画がてきてから約10年後に作品を観ることになるというのは、何の因果かと思うが、近頃、たまにいろいろな手段で、戦没者(これは戦争自体に出向いた者だけでなく、現地に慰安に向かわされた女性たちも)の魂とつながる機会があって、その答え合わせのようにこの作品に出会った感覚だった。 零戦のパイロットであった祖父を持つ孫が、自分の人生の敗北を埋め合わせるように、自分のルーツを祖父にたどろうとする姿は、今の自分にも重なるところがあった。 私自身は、母が2歳のときにすでに、空襲の煙にまかれて亡くなっている祖父のことは、母や祖母から伝え聞く以外には知らず、祖父を知っている人のことも知らず、この作品のようにはいかないわけだが、それでも、亡き祖父を訪ねる足跡が、自分の不甲斐なさを軽減し、生きることを確かなものにするということはよく分かった。 自らの血が覚えている、精神においての敗北、血が体内にあるうちに受けた暴力の記憶というのがおそらくあって、それは、今に血を受け継いだ者が各々、無理矢理にではない肯定的な解釈によって昇華していく、血に宿る困難や葛藤を和らげていく必要が、きっとあるのだ。 この作品は、日本アカデミー賞の受賞作でもあるとのことで、10年前、つまり戦後70年当時に、こうした内容を映画化する、つまり汎化する試みがあったこと、そしてそれが映画界で確かな評価を得たことを、当時メディア、特にマスメディアに触れるのが難しかった病にかかっていた私は、全く知らなかった。 図らずもその名作を10年後に鑑賞するという、もはや浦島太郎のような身なのだが、大切に思えたエピソードや表現について、2点ほど書いてみる。 まず、先ほど「汎化」という言葉を使ったが、映画作品というのは、作品として共有される時点で、多くの人が感情移入しやすいように作られている。けれども、そこにただ感情移入しているだけでは、本当の自分の経験にならないのは当然であるし、仕方がない。一方で、それが「誰かの体験」に過ぎなければ、それもまた、共有されている意味がない。 戦争体験も、同様である。そのことが最もよく表現されていると思えたのが、主人公の零戦乗りが、「自分は家族にとっては一人しかいない存在なので、死にたくない。必ず帰る」と言いつづけるエピソードだ。 その発言によって、この人物は、臆病者というレッテルをはられるのだが、彼が臆病者であろうとなかろうと、この発言は、100%事実ではないだろうか。 彼の家族にとって、彼は他には替えが効かない存在のはずで、彼にとってもそのはずだ(彼の死後、それを揺るがされ、当事者たちに葛藤が起きる展開になっていることすら、その事実を示している)。 つまり、当時のあらゆる家族にとって、家族の中から戦争に出た者が、他に替えが効かない存在だったのに加えて、この映画の中での主人公も、映画を鑑賞している者の身代わりではない、単なる誰かの身代わりとして演じられているのではない、ということを示している。 戦争体験は、この映画のように、語られる際に美化されがちで、美化されるような、もしくは反対に戦犯としてのエピソードを持った人物でなければ、語られる意味がないかのように聞こえることがある。 元々、どんななくなり方であれ、全ての人の死に、尊卑はない。まるで語られるべき生き方、語られるべき死しか価値がないかのような誤解を、臆病者の主人公として、「替えが効かないから死にたくない」という態度を、作品ラストの零戦での特攻を描いた数分以外、貫通させることで、回避している。 彼が結局、讃えられるべき英雄かどうかは、正直どうでもよい。誰にもそんなことは判断できないし、彼のことを評する生き残りの者たちも、自らの立場によって様々な言い方をしている。 この表現に、非常に感銘を覚えた。 圧倒的な拡散力を持つマスメディアにおいて、ドラマやフィクション全般で凡人が起こしやすい錯覚や誤解を回避する方法や、過剰な魅力や悲劇を携えた作品に対する、適切な距離や捉え方の可能性が、ここで提示されているように思えたからだ。 凡人など誰もいないなどという戯言は、マスメディアの圧力の前では、意味をなさない。マスメディアの前だからこそ、意味をなさない。 マスメディアで仕立て上げられる類の個は、画面の前にしか存在しない立場の私たちが、参照対象として確認すべき時代の典型的なペルソナを、作品ごとにいろいろな方向性で表現しているが、たいていの場合、需要の必要を遥かに超えた化け物だからだ。 その過剰さが、画面という窓(スキーマ)に表現される映像の制作には決して携わらない凡人の葛藤や悲劇を対照化し、客観視する助けになることは間違いないが、それ以上の効果はないと思った方が、精神衛生的に安全である。 現代における煩悩からの解脱は、むしろここにあるとさえ感じる。 2点目だが、上記に記した、零戦乗りの特攻玉砕までの数分の顔面の表情について、書いてみる。 このシーンでは、数分にわたって顔面がアップで表現されており、しかもこれまでのこの主人公と同じ人格なのかと思われるほど、歪んだ笑みが浮かんでいく。 この笑みについて、いろいろな解釈があるかもしれないが、私が感じたことを書くと、彼は、この最期、自分が自ら貫いてきた願いを手放し、死ぬと決意したときに、彼が派遣された戦地で盟友だったであろう、もしかしたら、人間としての同僚よりも盟友であったかもしれない、戦闘機としての超性能を備えた零戦に、そのポテンシャルのすべてを出させてあげたかったのではないか。 そうして零戦と一体化していたがゆえに、あの恐れ知らずな笑顔、作中の主人公とはまるで別人のような表情だったのではないか。 主人公が作品の端々で見せる機体たちへの態度、常に整備を怠らない、最後に乗るはずだった機体の故障の可能性をも感じとって若手に乗り換えさせるほどの、零戦の状態への理解を鑑みるに、そうした決心、零戦へのシンパシーを覚えても、然りと考える。 他の同僚に、実戦でも逃げてばかりだ、といわれるくらいに、彼は零戦にその実力を、自身の願いと引き換えに抑圧させつづけてきていた。戦うことのみを目的として作られた戦闘機に、である。すでにここにそのように存在している零戦には、例えば、戦争抑止の意思を持つことは不可能だ。 最期に、戦地でずっと共にあった盟友に、しかも故障もなく戦意満々なその機体に、自分の命の終わりと共にその力を発揮させてあげたいと思うそのシンパシーは、まさに零戦の一機一機ですら「替えが効かない」ものなのだということ、そのことをよく知っている思考回路、そのままの態度であった気がする。 実際、主人公のモデルとなった人物は、零戦の設計者と機械工がその機体に搭載させることに成功した、当時の戦闘機として史上最高の可能性を、彼の操縦技術と共に実現し、敵方からも称賛されるほどの成果を見せたという。 |