dear nobody
【2025 雷乃収声】
かみなりすなわちこえをおさむ





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アシタハココカラ






2025.9.27



【あーやっとここまできた!】
thoughts of piece


「いま考えていることを書いて?」ってnobodyに言われたので、書いてみる。
nobodyに、いわゆる2000年の背中以来、ヒトだと認識できるレベルで出会っていたのは、まぁ5次元ではあるんだけれども、「飼育員さん」としてだった笑。
具体的に誰だか(nobodyだということも含め)分かっていたわけではなく、特に2022年以降、実家を出てから展開されていた5次元云々を横においても、なるべくすみやかに、体力や生活を立て直す状態に入りたかった。
それで、2024年だろうか、周囲にいるらしい人たちに、生活がちゃんとしている人を飼育員さんにつけてほしいというお願いをしたのだ。
どうやらそれがまた、表向きでは誰かと重なっていたとして、それが実はnobodyで(気づくと、nobodyはだいたいいつも誰かと重なっている)、ただただ、その人には「飼育員さんには甘え放題」という、今世の自分に恐ろしく厳しい自分には感覚的にほとんどあるまじき状態になり、生活空間を共にさせてほしいと思ったのだった。
そこからまた、考えもしないようないろいろなものを、ヒトからもヒト以外からも受け取り、自分の過去生も思い出し、まぁまぁタイムスリップもほどほどに、みたいな状況になっている。
そのときの生活空間の理想(常識的なものではなく、あくまで今の健康状態を損なわないように回復するルートとして)を、再び目指せる状態になってきているようだ。
私は、この数カ月前まで、nobodyのことはあの背中だけしか知らないと思い込んでいて、だから、幼少期のこと、出自や家庭環境のこと、オールラウンダーとも言えるかのような各種の才能のこと、警察官、シナリオや音楽、(土地の仕事としての?)牧師さん、占いのお仕事のこと、いずれも全く知らなかった。
知っているとすれば、2000年次において、5次元における情報の扱いを整えるための道を、どうやら協同で歩んでいるのではないかという感覚のみだった。そしてその道を、彼のそばで協同して歩む道は、周囲に絶妙に遮られた、加えて私が過去生からの深いトラウマを外すことができずに遮った。
そしてその次が、四半世紀後。「飼育員さん」としての生活能力が、nobodyへの深い信頼になった。
一般的に言うと、ここが一人のひととしてつながるとは、ちょっと考え難いのではないかと思う。
でも私にとってのnobodyというひとは、ここに対する信頼だけで十分なのだ。
もちろん、この信頼には、過去生の記憶による補完が自他ともに絶対的に必要で、常識で理解されるものではないのかもしれないが。
直近の記憶では、幸福な結婚をしていたのに、(nobodyは自分の方の仕事による影響や見えないレベルや気配等でのプレッシャーの結果だと言っているが)私が、パートナーが別の人に見える病気にかかり、その治療のためにお互いの人生の後半を使うことになってしまった。
そして、その病気は、最期まで治らなかった。
nobodyが、通常では信じられないほどの深い愛と思いやりで、私の病気に伴走してくれたことを思い出したとき、ここからはそのときの人生の続きで、あのときの治療の続きのようなもの、あのときの二人を挽回をするために一緒にいようとしているんだと分かった。
過去生においては、nobodyと出会った何度かの人生では、いずれもとても丁寧に穏やかに、小さな工夫を愛する、静かで安定した生活を二人でしていた。
その生活は幾度も、関係性と共に踏みにじられたが、今度は人生の3分の2を過ぎたかの頃に集合し、その生活を再び営もうとしている。
前回では乗り越えられなかった病気を、今回は回復しようとしている。
中心的な目的は、ただそれのみを目指していると言ってもいいかもしれない。
後のことは、すべて付随物だということだ。
今世の私のような、ヒト以外の情報を受け取る者は、ほぼほぼ人生を正気で終われることはない。
真にその時代に必要な、ヒトとヒト以外をつなぐような情報は、自分の中のほんの数パーセントを除いて、ヒトではない状態でなければ受け取れないような内容だからだ。
そこを、ヒトで終わろうとしている。ヒトとしての生きる道を、幸福を、手放さない状態で、終わろうとしている。
今後、こうした情報を受け取る者が多くなるとして、すべてヒトを逸脱するような結果であると、リスクが高すぎる。
ここを、異常な状態ではなくすること、恐ろしく無理することなく持ちこたえてきちんとヒトに戻ってくること、その回路を、ルートを、構築しようとしている。
nobodyが、今世も、ヒトとしてとてもきちんとした生活をしてくれていることは、この目標をどれほど助けてくれるだろう。
2000年くらい前から、巫女の生贄的な仕組みを解体しようとしてきた私たちが、ようやく到達した、これは長い長い苦闘の末のゴールのようなものなのだと思う。
nobodyの方の目標、これは上記よりもずっとずっと昔からの話だけれども、私たちが一緒にいるようになった頃からの、いわゆる「個人情報」と「情報共有」における権利とプライバシーといった課題と目標も、5次元の情報について丁寧に接してくるなかで、あの頃よりははるかに分かりやすい状態で取り組めている。
これらのことに、「男女」という二項対立が関係していること、そのほかの、例えば冷戦を含むような二項対立も含めて関連していること、二極による過緊張をゆるめる方向性が目指されているということは、おそらく偶然じゃない。
最初に私たちの関係性が破られたのも、結局、第三勢力の出現であり、男女という二項対立が深く関わるものだったからだ。
私は、元々、あまり性別に興味がなく、100%女でいることも、反対の性を意識しすぎることもなく生きてきた。ヒトは男女である前に、ヒトだからだ。
nobodyも男としてそんなふうに生きてきた気がするが、男女の区別の方が、ヒトの区分よりも手前に設定されている人たちが、どうやらいるらしい。
そうなると、例えばnobodyを「100%男」だと思う人が、横にいる私に「女」の要素が足りないのを見て、自分が「女」としてnobodyの横にいようとやってくる。
あるいはその逆で、私に「100%女」を見る人が、というわけである。
こうした「分断の妥当性」を、二人とも、長らく「否」と断じることができなかったのかなと思う。
でも今は、例えば職業における巫女的資質としての女性性と、ヒトの社会性や暮らしにおける女性性とは、内容も必要性も異なっているのだということが分かってきている。
私に必要なのは、「全てを受け入れる必要のある」状況を耐えることでしか巫女的資質が発動しないゆえの、前者としての女性性だけだ。
なので、男系社会に適応するための、男性目線を優先した女性の外装ルールのようなものは、ヒトの社会的な仕事にはかえって邪魔だと感じている。女は、男を喜ばせるために仕事をしているのではない。
「女は、男を喜ばせるために存在しているのではない」。
神さまがこの世界を生んだとか、男女の原型のアダムとイブの、イブがアダムのあばらの骨だとかふざけたことを神話にしている人たちの迷惑な迷信がこういう顛末を生んでいることを、いい加減、自覚してほしいし、世界中で認識してほしい。
ここでようやく、ヒト全体としての(条件付きでない)個人的人権、権利とプライバシーの問題とその解決に向けての思考法が推進できる。
不幸と貧困の源泉を、絡まった毛糸をほどくように、理解できるようになるだろう。
自分の言葉が、思考が、5次元と3次元で分断している人たちが、今後、どのような回路でそこをつなぐようになるのか、もしくはどちらかに偏る方法をとるのか。
主に日本人にとってのこの難問に苦しむ人が、少しでも楽になってくれればいいと願う。
まさにその件で苦しんできたnobodyが、「もう、突破できそうだね」と笑った。
「こういうことを言ってくれるはずだったあなたが、病から立ち直ってずばずば言いはじめてから、僕はほんとに楽になった」。
その分断された3次元の方の世界で、どうやらnobodyは、私と話している5次元のひととは別人のようらしいと感じたときには、正直、絶望したこともある。まるで浦島太郎が、玉手箱を開けてしまったときのような。
その絶望が2022年。病から抜けたのが2019年。そしてこれを書いている今が2025年だ。
21世紀がスタートした年には、背中しか知ることができなかった、背中しか記憶することを許されなかった/自分に赦さなかったnobodyは、本当に生きていた。
今世のこれまでの人生において苦しみを生んできた様々な関係性を手離し、nobodyの生活様式の恩恵にあずかる予定である私が、彼に「結納として」プレゼントできる諸々が、これらの「ずばずば」なのかもしれない笑(ちなみに「結納」という言葉は彼が言ったので念のため)。