【2026 鷹乃学習】
たかすなわちわざをなす
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アシタハココカラ
2026.7.21
【ゆらゆら】
~どこへも誰にも私にすら~
![]() *相変わらず、思い出す過去生が壮絶なんであるが、同時に、幸福も若干思い出すという僥倖を得ている。 *そもそも、最初に過去生なんぞと思えるものを思い出したのが、約20年の病を経て、薬も通院も脱して、当時の実家から電車の延長線上で行ける、沿線の終点の一つでもある江の島近く、鎌倉の端っこに、生活訓練と称して滞在しているときだった。2022年11月のこと。 *大勢の人が死んでいくのを、その声なき絶叫を、私は全然違う場所で受け取りつづける、それを私も声なき絶叫を上げつづけるというやつで、声なき絶叫というのは、それが自決によるものだからだ。当たり前だが、全く覚えがない。 *つい一昨日、その当時も、そばにnobodyがいたことを思い出した。これまた壮絶につらいので、書きたくない。その感じを最近、思い出してはいたのだが、ついでに幸福な側面も思い出した。nobodyの音楽を聴いていて。当時の私たちは、別の国の民族で、そこの地域にお互いに自分の国を守るためにやってきていて、添わされたものの、言葉が通じなかった。結婚式の宴で、いきなりその場を取り締まる者から、彼の国の音楽に合わせて踊れと言われて、うちの国の女がみんな踊ると思ってるなと思いながら、即興で演奏される彼の国の曲に即興であわせて踊った。全くの、出たとこ勝負である。国で儀式的に踊っていた音楽と、全然リズムも速さもフレーズも違うわけで(って聴きながらしか分からないのだが!!!)、全くの、だから出たとこ勝負である。なんとか終わって、自分の席に戻って、「何かあなたのお国にとって失礼な所作はありませんでしたか?」と間をもってくれる人を通じて伝えたら、何というか、彼は私の手を包んで、ものすごく感激してくれていて、キラキラしていて(うちの国より基本的にキラキラしているらしい)、よかったーと胸をなでおろし、お互いに何とかやっていけそうと思ったのだった。が。 *つらいことというのは、何か幸福なこととか嬉しいことを餌にしてしか、向き合えなかったり思い出すことすら難しいのかもしれない。 *私が今世で初めて男性と付き合ったのは、19歳なのだが、それより前、大学に入ったばかりの頃に、あるチラシに描かれた作品に恋をした。作品というよりも、最近どこかで書いたかもしれないが、それが描かれた「線」に恋をした。結局、そのチラシを誰が描いたのか、その人が誰なのか知ったのは最近のことだ。 *でも、その恋は実りそうになかった。その「線」に感じた衝撃というか、その単純な状態が意図どおりに維持された、訓練されたようなちからに、私は同等の人間として目の前に立つ自信がなかった。だから、それを「恋」とすら認識しなかったと言ってもいい。一瞬、通りすぎたようなほどのものだったから。 *「実らない恋に意味はない」とは、きゃりーぱみゅぱみゅのなんかの曲の歌詞だと思う、今日、偶然久しぶりに聞いた。 *私も、高校時代に自分が書こう(描こう)とする「線」があり、その線で描かれた(書かれた)キャラクターがいた。とても大事だった。でも、高校を卒業して以来、一極集中した受験勉強で疲れすぎたのか、書けなくなっていた。もう、そのキャラクターに二度と会えないような気もしていた。いつも、来てくれるときにしか来てくれなかったから。今もなお使用している自分のマークにも、それに似たもの(どっちかというとこっちが最初)を使っていたが、全然別ものだった。無理には決して書けない、つまりはやってきてくれない存在だった。 *だからなのかもしれない。私は、そのチラシの「線」を書いた主を知ろうとするのを、我知らずにやめた。 *白い世界に、何もない、天も地も端っこもない白い世界に、ただ出現するもの。 *その白い世界は、今で言う、まるでネットの中みたいだ。そっくりなのに気がついて、不思議に思ったものだ。 *そっくりと言えば、数年前、屋久島の太鼓岩という、ジブリ映画『もののけ姫』で、モロの家族がサンと住んでいた場所のモデルになった岩に、アテンドの方に連れて行ってもらったが、そこが、天候が完璧な霧で、風景と言われるような景色は全くなく、まるでその白い世界と同じように、均一に、真っ白だった。空もなく、景色の端を象る地形も存在しない。いきなり、岩から先が180度、真っ白けっけなのだった。 *高校時代、その「線」で書いた存在が大事だった私は、現実から逃げてこの白い世界に来ているのではないかと思うことがあった。創造の源泉のような場所であるとも思ったけれども、あまりに何もないその世界は、例えば真っ暗闇だと言われる物理的な「宇宙」とは違って、精神世界の賜物、だからやはり現実からの逃避先だったのかもしれないという結論に達していた。 *地獄なくらいに勉強して、第一志望の学部にのみ合格し、紙一重で大学に進学したけれども、何が理由か分からないけれども、そのキャラクターは一緒には来てくれなかったのである。 *大学卒業後に書きはじめていた別の作品でも、言葉の生まれるところのような場所、この真っ白な場所と若干似たところに入っていったが、結局、それも完結することができず、この白い世界に来たのは間違いだったのだと、ライフワークのつもりで仕事の脇でやっていた同人誌を、お葬式サイトまで作って終えると決めたときに思った。 *それでも、狂気を回避しようとするときには、気づいたらやはりそれに近い世界で言葉を書いていたりして、もう、自分を、自分という認識を、この世界という認識を、言葉で、線で追及していく際に、どこに行っちゃいけなかったのか分からなくなった。とにかく自分の人生が壊れていっていることだけが分かった。 *でも、あの太鼓岩での真っ白体験は、それを思い直す必要がある、思い直していいのかもしれないという手がかりをくれた。 *数カ月前、何のきっかけだったか、あの「線」への記憶、自分のも、そして人生のほんの少しの時間しか眺めていなかったはずの、とっくに忘れていると思っていたあのチラシの「線」の秀逸さについて、驚くほど明晰に思い出したときに、頭の中で話していた人がいて、その人がどうやら当時私を助けてくれていたセゾンのCM(といってもとあるコピー1本のことである)のことを勤務先に近い形で知っていて、かつての就職のときに、そうした言葉の職業について、当時の広告やコピーという存在について考えていたことも思い出して、話したりした。 *この人が、そしてそのチラシを描いた人がnobodyであることが分かるのがつい最近なので、もはや出木杉の話なのか、犬も歩けば棒に当たる方面の話なのか、分からなくなってきた。 *当時、好きで観ていた劇団の、最も好きだった作品のチラシも(冷静に考えてみたら、同じ線だよね笑笑)、その台本すらも手掛けていたと分かったときの思考停止っぷりと言ったら。 *今、別の文脈から、渋谷や西武、セゾン、パルコ方面のことを、周囲の建築(居住者として街を歩く者に見えていた、地域の歴史、企業同士の関係性、建物、周辺の各街での展開なども含む)との兼ね合い、土地・文化・商業・アート、思いつくまま、近所で生まれ育った人間としての感想を、とにかくぶっちゃけて言語化しているのだけれども、ここらのことは、あの「線」についての恋を閉じ込めてしまったのと同じように、自分の中だけのこととして言語化すらせずに(自分の生まれ育った土地のことは、そもそもリアルタイムでの言語化は難しいのだと思うが)閉じ込めていたことに気がついた。 *もともと、昔から何を観ても感想を共有することはほとんどしてこなかったが(唯一、チェコアニメ周辺は仲間が発生したのでしていた、それも海洋堂のアリスのフィギュアがきっかけだったりして、おそらくその集団に合流できたのはたまたまだろう)、それは、そうした感想、及びそこから展開される思考は、個人のもの、個人が自分自身の栄養にするもの、という感覚があるからだ。 *でも、もし当時、あの「線」を描いた人と話せていたら、これら自分が生まれた街周辺の感想も共有したように思う。そのことが、後の苦しみを回避する何ものかにも、なったように思う。 *何度か、話せるような距離まで出没してくれたのに、しかももっと幼い時代にも中学時代にも、そういう機会があったのに、それが線として繋がらなかったのは、半世紀経つまで誰だか分からなかったのは、よほど「線」に対するコンプレックスがあったのか。 *あの「線」に、自分は恋をしていたのだということ。もちろん、書いた人が、当時、私が感じた「線」の通りの人だと思ったかどうかは分からないけれども(それが会いに行かなかった理由の一つでもある)、そこを認めなおすことで、人生が修正できそうに思う。 *18歳の頃。いちばんとにかく冴えていた。その地域においての、何も言わない、感じなかったことにするしかなかったあたりのことが(自分のことというよりも、むしろ外部で起こっていたことについて)、今頃、なんか分からんほどの見通しのちからになって出てきているのだが、まぁそんなことがあってもいいんじゃないの。制御が若干、大変だけど笑。 *nobodyが埋めてくる、不在のはずの時期の諸々が、もはやまさかのまさかなレベルに到達していて、そんだけ近くにいるなら早く言えよ!!って感じなのだが、こんだけ気づかなかった私も、もはやもはやな私なのであった。 *気づいたらいつも曇り空になってしまっていた18歳のあの頃を、自分の街で起きていたことの文句をぶつくさ若者の辛辣さで言いながら、幸福な時間としてやり直すといいのではないかと思っていたりする。 |
