dear nobody
【2026 水泉動】
しみずあたたかをふくむ





2026.1.11 second


お買い物の帰り、
小さな義経氏と
話しながら
歩いていたら、

ふと目の前の
道に躍り出てきた
スーツの背中。

その喜びに
心躍るも束の間に、

かつてのその背中との?
背中の人との?
苦しみ、悲しみで、

自分が、

心がというよりも
自分が、
張り裂けそうになった。

その瞬間、
同時に思ったのだ。

この人が、
探していた人だって。

それでかつて、
過去生でどんなに

張り裂けそうな
苦しみ、悲しみが
起こったことが
あったとして、

でも彼は、
彼の背中は、
今ちゃんと
目の前にあるじゃない。

しかも全然、
あの頃みたいに、
拒絶するような
雰囲気じゃない。

まるで、
一緒に遊ぼう?
と言っているような、
喜びと喜び。

だったら、
いつまで苦しむの?
過去の記憶を
いつまで悲しむの?

彼が視界から
見えなくなったあと、
そう自分に
尋ねていた。

部屋に戻って、
コインランドリーに
お洗濯に行ってもまだ

そのことを
考えていた。

義経氏との
悲しい思い出も。

幸福な時間よりも
一人生き残って
つらい時間の方が
よほど長かったことを。

そして、
山で共に暮らした
幼馴染の人とのこと、

義経氏とよりも、
あらかじめ関係に
幸福の可能性が
大きかったからこそ、

そこでの分断は、
強く深く悲しかった。

日々の生活の中で、
それを口にも
態度にも、
出せないままで。

同じ家の
片隅と片隅で、
離れて
眠ることへの、

悲しみと苦しみで
ちぎれそうな
心と身体。

それをリアルに
思い出したとき、

初めて、
「乗り越えよう」
と思った。

「乗り越えよう」
その言葉が、
自分の中に湧いた。

これまでは、
過去生のつらいことも、

ちゃんと思い出すこと、
ちゃんと受け止めること、
ちゃんと感じること、

それが命題だった。
それだけで
精一杯だった。

数年前、
彼が見えない姿で
私の右にいて、

「思ったよりも
ずっとたくさんの人が
あなたの周りにいる。

私といることに
なるとしても、

その人たちに、
御礼を言うべきところは
言って、

断るべき気持ちは
お断りして、

私よりも強烈な
過去生のカルマが
あなたとの間に
ある人もいそうだから、

それを
きちんと受け止めて、
整理をして、

私とのことは、
それからでいいよ?

あなたが思いもよらない
人や関係性も
あるかもしれない。

でもそれはきっと、
あなたにとっては
やらなければ
いけないことだから。

今世でもし
間に合わないなら、
私といてくれるのは、
来世でもいい。

だから
納得のいくように、
ちゃんと
終わらせておいで」

って。

私は
それを聞いたとき、

その優しさに
泣いてしまったけれど、

本当に今世では
終わらないほど
しんどいことが
待っている気もした。

それに彼のその
優しさに甘えたら、

もう会えなくなる、
つながれなくなるんじゃ
ないかとも思った。

でも。

やらなければ
ならないことなら、

それが終わってから
また会える可能性が
あるのなら。

この
聞こえない
喧噪の中の、
見えない
争いの渦を、

可能なかぎり
正面衝突を避け、

やってみるって
決めた。

今日までの数年は、
信じられないほどの
紆余曲折だった。

周知の事実に、
私だけ気づいていない
ようなこともあった。

想像も絶するほどの
悲しみ苦しみが、
解放の許可をするたびに
出現してきた。

終わりがないようにも
思えた。

彼との間で
感じた苦しみは、

今世の背中を
見ただけで、
張り裂けそうなほど
強烈なものだった。

でも、
また会えているという
この現実を、

過去生の
苦しみよりも、
誠実に
受け止める。

きちんと
記憶を再解釈し、
シナリオを
塗り替えていく。

自分にとって
都合の悪いところを
上塗りするのではなく、
無理な改変を
施すのでもなく。

きちんと
きれいにしたうえで、

自分の好きな色を、
自分の色を、

そこに塗っても
よいようになるまで
丁寧に。

混乱で
心が沸き上がるたび、

「丁寧に行こう」

って、
彼の声で
何度も聞こえてきた。

最後の苦しみの
乗り越えは、
手放しは、

冷や汗を伴うような、
恐ろしく勇気の
いることだった。

孤児同士の
幼馴染で、
共に暮らして
育ったのに、

私に近づかないよう、
男女の幸福な関係性に
ならないよう、

彼のところに
お告げがあったなんて、
知らなかったし。
(下の物語的に書いた
過去生のときの話)

私の巫女的な資質が
私の女性としての
幸福をまたも遮った
のだとして、

この問題に
長きにわたって
取り組んできた身、

多くの過去生を
検証した身には、

再解釈の余地が
ちゃんとあった。

これはある意味、
特定の資質
(それは巫女に限らず)
によって

仕事をする女性の
受難の問題なのだ。

仕事と生活の両方で
社会と接する、

一人の人間が、
仕事と生活における
別面の価値を、

個人及び社会において
機能させようとする、

そのときに起こる
葛藤や軋轢の問題なのだ
と気がついたとき、

なぜ今、
日本に古くから
女性の職業として
存在していた
巫女的な資質が

自分の
過去生として
浮上してきたのか、

そして
女性として最も幸福に
なれるはずの関係が、
自らの資質によって
壊れてしまった記憶が、

最大の
苦しみとして
浮上してきたのか、

その理由が
見えてきた。

過去生を
思い出すのは、

少なくとも
私にとっては、

何が誰が自分の
過去生だったかを
知るためじゃない。

その過去生の記憶を
現世に生かすために、
精神の危険と
苦しみを犯してでも、

頑張って
思い出してきてたんだ
ってこと。

かつての自分を、
救うために。

今の私を、
救うために。







2026.1.11


静かなところへ
たどりついた。

安心しても、
よいところに。

尊敬できる
お仕事のところに。

そしてなぜか、
この不思議な旅の
最初に選んでいた、

怖い顔で
横を向いている

船の写真の
人のところに。

ここがつながるの?
船と自動車??

しかも
旅の途中で
たどりついていた、
あの地域の、

ジビエ料理が
おいしかった、
あのホテルとも?

人生、
マジ分からん。

(一回りの人生の
邂逅の記憶からは、
とてもじゃないけど)

一年以上前に
書いたこの人との
過去生のお話を、

見つけたので
載せておこう。

記憶の断片が
降り積もる、

そのどこを、
どの時点で
物語化したルートを

文字に声に
起こすかって、

まるで、
定点観測のよう。

過去生や、
過去の記憶の、

何が正しい
思い出し方、

何が正当な
再解釈かなんて、

自分の
その時点での
納得以外、

誰にも
決められない。

永遠に
定点観測したって
いい、

自分の記憶の
井戸水のようなもの
なんじゃないかって。

いくつもの
過去の記憶、
過去生の記憶が、

舞い降りては
積もっていく。

その、
かけらと言うには
薄くて軽い、
頼りない断片を、

継いでいる、
紡いでいる、
間に。